タヒチアンダンスとその歴史を説明します

【タヒチアンダンスとその歴史】 . . タヒチの人々にとってダンスとは、彼らの文化を象徴するものです。

昔も今もダンスと暮らしは密接です。

18世紀後半から19世紀初頭。 アリオイと呼ばれる男女からなる旅芸人の集団が、依頼を受け、村から村、島から島へと移動しながら、 人生の節目を祝う祭りの場や、この地を訪れた旅人を歓迎するため、豊穣など祈りを捧げるため、敵を挑発するため、神〈オロ〉への信仰などをダンスによって表現していました。
19世紀初頭、タヒチにキリスト教の宣教師がやってきた時、 力強く官能的で彼らの道徳に反するダンスを島の人々のキリスト教への改宗とともに禁じました。 1819年、王ポマレ2世がポマレ法をを発行し、全ての歌、ダンスなどの芸能を古い悪い習慣として禁止しました。
1840年。 この法に反発し古い習慣と聖書の教えを融合させようとする運動が起き、政府が娯楽のダンスを認めるようになりました。

しかしその後も再び禁止したり、ダンスの制限を繰り返す時代が60年近く続きました。
それでもタヒチの人々は隠れてダンスの伝統を守り続けました。
1950年代。 マドレーヌ・モウアという女性が、19世紀後半から復活し始めたダンスの伝統を後世に遺すためステップやジェスチャーの体系化に努めました。
1956年に彼女が率いるダンスグループ「ヘイヴァ」が誕生し、 その後タヒチの観光発展とともに、公共の場でダンスを披露する機会が増え始めました。
タヒチの人々はダンスとリズムによってマナを表現します。 タヒチアンダンスと音楽は生きる喜びであり、先祖から繋がる人生そのもの。
このポリネシアン文化を大切に誇りに思っています
とても短くまとめてしまいましたが、、、 まだまだ話したいことはたくさんあります😝 が、、、今日はここまで。
異国の私はポリネシアの人になることは出来ませんが、 彼らの文化に敬意をはらい、学び、 私らしく伝えていくことが大切であると考えています。

それを、HIVAORAcompanyのみんなと共に❤ . .